図書館から借りて、こんな本を読みました。
返さなければならないので、この場を借りてメモメモ(._.)φ
著者の酒井順子さん、ミーハーでセクシャルな発言も多く、
「軽い」と思う部分もあったものの、大変わかりやすく、
同感したり「なるほど」と思うことがが多かったです。
インタビューに答えるアスリートの第1声が「そうですね」、私も感じていました。
まだ、試合後心身共に落ち着かないときの質問に答えるためのワンクッション、
「和歌における枕詞のよう」そうかもしれない。
答えたくない時もあるでしょう。アスリートの皆さんご苦労さま。
「自分らしさ」が生まれたのは・・
以前の若者は大人たちの「こうしなければ!」に対して、
「自分がしたいのはそんなことでない!」と反発の気持ちが起きたが、
(スマップの曲のように)「そのままでいい」という風潮になり、
逆に自分の芯の部分を見つけにくくなって疲弊してしまう。
そして「生きづらい」と言う言葉が流行る。
かつて、自分自身の「悩み」とされていたことが、
自分のせいでなく社会など「生きづらさ」の原因は他者にあると捉える。
「ハラスメント」という言葉の増殖、同時に言い切ることを避け、
「かもしれない」「みたいな」「個人的な意見ですが」などが増え、
「よう知らんけど」なども緩衝材となっている。
日本人は「三○○」が好き。「三大○○」「三密」など。
そしてペアで使う言葉も習慣化している。
「ご指導ご鞭撻」「ご健勝とご多幸」「ご心配とご迷惑」・・
相手に同調を表すときに語尾の「ね」を頻発する。
また、翻訳時語尾の「だよ」「よね」「です」で性別立場を表そうとするが、
これからそれは差別意識をなくすために変化していきそう。
読んでいて、「おもしろい!」と思ったことがうまくまとめられませんでしたが、
言葉というのはその時々の社会風潮と密接な関係があることがわかりました。
「○○です」「○○と思います」時には言い切れる自分でいたいなと思いました。
そして「感動をもらった』「勇気をもらった」という言い方は、
「感動した」「勇気づけられた」と言うようにしたいなとも思いました。
「元気をもらった」なんて、思わず言ってしまいそうですが、
新しく生まれた言葉に親しみつつ、培ってきた日本語を大切にしたいです。
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言い切った!(^_^)