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「なぜ人を殺してはいけないんですか?」

光市の母子殺害の最高裁の判決が「差し戻し」と出ました。

どうして最高裁で「死刑」という判決を下せなかったのでしょう?


憤りを感じながら、10年近く前のテレビ番組内で1人の高校生が、

「なぜ人を殺してはいけないんですか?」という質問をした話を思い出していました。

当然、その質問はセンセーショナルを巻き起こし、色々なところで取り上げられました。

多くの大人達が「自分には明確に答えを出すことができない。情けない。」

というような感想を述べていました。

つい最近もある著名人の口から同じ言葉を聞きました。


高校生の言葉も衝撃的ですが、私はこの大人達の反応が気になります。

私が彼の父親だったら・・・

「おまえは何をバカなことを言っている!」と殴りつけ、

「そんなこともわからないヤツは出ていけ!」と追い出したい。

行動にも発言にも自由は認められなければいけません。大人であっても子供であっても。

しかし、真の自由というのは「良識」を備えた者に与えられるべきものと思います。

子どもたちは発展途上です。ほんの骨組みだけで、これから肉や皮を付けていく状態です。

だからこそ、私達大人が全力をかけて守り育てなければならない大切な存在なのです。

正しい良識が身についていないうちに、間違った自由を与えてはいないでしょうか。


子どもたちと接することを仕事にしながら、今の子供、10年前の子供、20年前の子供、

そして自分が子供だった頃と重ねてみることがあります。

難しい問題に当たったとき「こんなの使わないよ~。先生、大人になって使った?」、

そう声高に訴える子供が目に付きます。以前はいなかったけれど。

愚かな私は真剣に「二次関数」と実生活の関連などを考え、

建築の専門家に問い、子どもたちにそれを説明し、

「実際に使わなくてもシノプスが脳細胞を結びつけ・・・」などと苦しい説明をしました。

「なぜ殺してはいけないの?」に答えられないことを恥じた大人と同じように。


しかし、ふと気付き子どもたちに聞いてみました。

「本当に二次関数と実生活の関連を知りたかったの?難しいからやりたくなかっただけ?」

正直な子どもたちでした。少し恥ずかしそうに「面倒くさいからやりたくない。」と答えました。

そう、「難しい」「わからない」以前にこの「面倒くさい」、

今風に言うと「めんどい」(厭な言葉!)があったのです。

さらに、「でも、お父さんも『こんなの使わないよ~。』って言ってたよ。」と続きます。


確かに、自分が子供のころだって「こんなの使う?」と思ったことはあったと思います。

しかし、それをまるで鬼の首を取ったかのように声高に訴えたでしょうか?

イヤだな、やりたくないなと思いながら、渋々考え、

イヤ考えているフリをして、頭の上を通り過ぎるのを待ったような気がします。

そして、昔の親達は

「四の五の言ってないで、とにかく勉強せい!」ととりあえずどやしたのではないでしょうか。

学校教育も、親や社会の信頼に答えうるものだったのかもしれませんが。

もちろん、社会全体が生きていくことで精一杯の時代だったこともあろうかと思います。


「人を殺しては・・・」に戻ります。

ものごとは移り変わり、言葉すら変容を遂げています。

しかし、変わることない真理、全員総意の元に守らなければならない真理があるはずです。

それが「人を殺してはいけない」ということです。

理由もへったくれもありません。

18才を未成年ということで「守る」のならば、管理責任のある親を極刑に処すべき・・・

親はそれくらいの危機感を持って子供を育てるべきではないでしょうか。

私は、15歳を過ぎて「故意に」人を殺したならば「死刑」と思っています。

似たような事件の再犯を防ぎ、安心して暮らせる社会のためにも必要なことと思います。