先日、ケイの抜糸と病理検査の結果を聞きに動物病院へ行きました。
結果は「もう安心、よかった!」とも言えず、逆に辛い結果でもなく、
3段階のグレードの中のグレード2でした。
腫瘍部分は切除したけれど安心の行くほど周りの部分までは取れていない。
しかし、抗がん剤治療が必要という段階ではない。
そのどちらへ転んでもおかしくないという最も幅広いグレードだそうです。
ということで、もう少し経過観察。1週間後に診察です。
紙面の難しい言葉の中で「低悪性度」という言葉にすがる思いです。
ところが、その夜、中学からの友人二人から電話がありました。
生まれたときから障害があった孫が、昨年末8才で亡くなったとのこと、
おまけにその直後、妹となる孫は死産だったと。
息子夫婦は立ち直れずカウンセリングを受けているが、
自分は葬儀の時の住職の言葉に今、力を与えられているとのこと。
かける言葉も見つかりませんでしたが、その友の電話の要件は、
もう一つありました。「Hがあなたの電話を待っているようだからかけて」と。
Hとは高校も一緒で家も近く、毎日一緒に登校していました。
コロナ禍も年に1度は会っていたし、元気なLINEからしばらく空いていたけれど・・
今年に入って癌が見つかり、手術はできず放射線と抗がん剤の治療中。
介護認定もされてしまったとのこと。
前述の友もそうですが、サバサバと威勢のい友は時に大声で笑いながら、
1時間電話で病状や暮らしのことを話してくれました。
中学時代の明るくお茶目な二人の笑顔ばかりが目に浮かび、
神様、なんてことを・・と呪いそうな気持ちになりました。
今、ふたりの気持ちにどう寄り添えばいいのか考えています。
実家の母は、よく人に寄り添い、多くの人を手助けしてきました。
しかし、それが母目線で疎ましがられることも多々あると私は知っています。
自分だったらどうしてほしいのか、またどうしてほしくないのか、
彼女たちの気持ちを今よく考えて行動しなくては。
衝撃と同時に、友たちの強さに感銘を受けています。
障害のある孫が誕生したときから友が尽力してきたことも知っています。
孫たちを哀れむと同時に、息子夫婦への想いはどれほど辛いものか。
でも、今、その支えになるべく一生懸命立ち上がろうとしている友。
もう一人の友は、まるで私を笑わせるように生き生きと日々の話をして聞かせ、
最後には自分の方から「がんばるからね!」と私が口にできない言葉を言い、
私の方が遅れて「そうよ!がんばってよね!」と言う。
もしかしたら、こうして元気な声で私に聞いてほしかったのか。
湿っぽくならず相槌を打つ、それが私のできることなのか・・。
ケイの心配もちょっと脇に置き、ここ数日考えています。