東京大空襲から77年。
これまでにも何度かブログに書いたけれど、3月10日には運命を感じます。
浅草生まれの母が戦火に追われ命からがら逃げ出した日です。母は13歳でした。
もしその日、母が命を落としていたら、私はいなかったわけで、
それ以前に、祖母が関東大震災の時に亡くなっていたらやはり私はいなかったです。
母も祖母も「近所の人が助けに来てくれた」と言っています。
私の地域は自治会がまだよく機能していますが、隣組という制度が消えかけています。
面倒なことも多いけれど、いざというときの助け合いの大切さを思います。
母に朝、電話をして、この日に「その日の話」を聞こうと思いました。
こちらからそれを言う前に、「あの日のことを文章にしようと思う」と母が。
これから原稿用紙を買いに行くそうです。
ウクライナのニュースもあり、戦争の悲惨さを語るべきと思ったようです。
5月になれば91歳の母の声は一段と力強くなったようです。
「高齢の人は増えてもお母さんのように頭がはっきりしている人は
どんどん少なくなるからがんばって残してよ!」と電話を切りました。
花に囲まれて平和に暮らしたいね、ケイ